[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ドイツ語とイタリア語とロシア語と。
今日はカルミナブラーナとナブッコのレッスンであった。
思い込みで読みを誤っていたところが発覚したり、2回目の取り組みだからこそ注意を払わねば、と思った。
ラテン語は「イタリア語読み」「ドイツ語読み」と指導者によって変わる。
所属する合唱団の総監督は常に「イタリア語読み」なので、イタリア語を勉強することにしたのはそのためだ。
ラテン語は印欧祖語から派生したイタリック語派に属し、
そこから中世フランス語を経てロマンス諸語(フランス語、イタリア語、スペイン語等)に分派したらしい。
ローマ帝国(ラテン語を公用語とした)があまりに広かったから、地方地方の訛りみたいなのが極まってそれぞれの言葉になったのだろう、と勝手に想像している。
とはいえ、日本語で言うところの「古典・漢文⇔現代日本語」の関係が「ラテン語⇔イタリア語等」というイメージでよいのだろう。
そういうわけで、現在イタリア語を勉強中であるが、活用は繰り返し練習しないとすぐにわからなくなる。
まだ近過去・半過去・大過去まで進んでみたものの、活用が不安になり戻っている。
もう一度復習してから条件法・接続法・命令法に進もうと思う。
ちなみにナブッコの解読はこんな状況である。
ところどころわからないままに「?」でやり過ごしているところが・・・おそらくまだ辿り着いていない構文なのだろう・・・なかなか進まない。
カルミナブラーナには中世ドイツ語も出てくる。
この「中世」ドイツ語というのが曲者で、現代ドイツ語とは異なるそうだ。
(現時点で違いが理解できていない)
また、同じ綴りであっても「文語」と「口語」で発音が異なるとのこと。
監督は常に「文語」発音を指示する方だということなので、ドイツ語は「文語」を意識して学ばねばならないようだ。
そしてロシア語である。
・・・最近我が家には語学参考書と辞書が増え続けている。蔵書の脈絡のなさにも歯止めがかからない。(先日は反動で推理小説を5冊ほど纏め買いしてしまった)
さて、ロシア語はキリル文字であるからインデックスも違和感満載である。
しかしながら「R」を鏡文字にしたものの発音が「er」的なものであるのはなんだか「表音文字」であるかのように体感できたのが不思議である。
「P」は「R」的で
「H」は「N」的で
「C」は「S」的であるのは慣れた。
ロシア語を学んでいて思うのは昨今のウクライナ問題である。
というのも、昨年末ウクライナのキエフ交響楽団との第九演奏に参加したためである。
あの時一緒に舞台に上がった、キエフ交響の彼ら/彼女らは今どうしているのだろう、と。
音楽を奏でられる状況にあるのだろうか?
もどかしいことに国内で報道される情報は少なく、心の隅で思いつづけることしかできない。
いつかまた出会えることを願っている。
ヴェルディのレクイエム
いわゆる「ヴェルレク」
2年ほど前に初めて歌った。
今に到るさまざまな音楽繋がりのきっかけとなった運命の曲であった。
キリスト教徒ではないため「ミサ曲」とは何か?も同時に勉強しなければならなかった。
当時の合唱指導の先生はとても丁寧に音楽を作る方で、その方に指導を受けれたのは幸運だったと思う。
先日、人生二度目のヴェルレクに取り組むかもしれない、ということになったが、日程の都合でおそらく舞台には出られないと思う。
その為、レッスンは聴講に留めさせてもらうことになるだろう。
しかし、いつか再びヴェルレクは歌いたい。
あんなにも練習が大変だったにもかかわらず(だからこそ?)深いところで響くようになった。
キリスト教徒でなくとも「音楽」で何かしらの根本は繋がれるのではないだろうか。
学生時代、キリスト教史も受講していたが既に記憶があやふやである。
しかし、美術、建築、音楽、と大抵かかわりがあるので、ここらで学びなおしておくべきだろう。
一応授業で使った「創世記」などは本棚に残っていることだし。
歴史
学生時代、歴史の授業で教えてもらったことだ。
(日本古代史専攻であった)
今思えば、もっと古文に親しんでおけばよかったと思う。
特に和歌。
和歌に使われている言葉は凄い。
表面的にはただ美しい自然の風景を歌っているようにしか思えない(現在の私にとって)ものが、実は政治風刺であったり、など全く別の意味を伴っていることを最近になって知った。
言葉が持つ本来の意味を知らなくては歴史は学べない。
というべきか?
歴史を学ぶことは言葉を学ぶことでもある。
二つは両輪のようだ。
当時理解されていた言葉の意味を知らなければ、荒唐無稽な昔話になってしまう。
もっと学びたいのだ。
何かを伝える為に歴史は言葉によって伝えられてきたのだろうから。
:::::::::::::::::::::::::::::
海外の歌曲に接するにあたって、海外の言語を(時にその中世や古代の言葉も)学ぶことになる。
その言葉の成り立ちを知らないと、詩歌に込められた作者の本意を見抜くことは到底できない。
単に発音の羅列になってはいけないのだ。
合唱指導の先生も語っていた。
音楽を見る美しい魂が必要だ、と。
どうにも濁りきった自分の心が哀しく、どうにか澄んだ心でありたいと願う。
先日の紋章についての考察メモ①
・「Α(アルファ)」と「Ω(オメガ)」を意匠化したもの。
・始まりと終わり。
・始まりの向こうに遠近法的にオメガが描かれている。
→始まりから「終わり」を見つめている
・アルファがペンローズの三角形で描かれている、それは何を表しているのか?
ニュージーランドのワイン
おそらく今年も京都にはいけないだろう。
自宅から最寄り駅までが桜並木なので、日々の行き帰りが花見であった、ということにしよう。
くやしいので、今日は久々にミニボトルではなく買い貯めてあるワインをあけてみた。
ニュージーランドの白。
伊勢丹のワイン催事で試飲で酔っ払いながら1ダースほどいろいろ買ってしまったワインのうちの1本である。
飲んで思い出したが、なにやら古めかしい樽を選び仕込んだので樽の香りが強く出ている、と説明を受けたワインがこれだったようだ。
ぴりりとしたフレッシュ感(ラベルにはライチのような、とか書いてあった)の奥に、樽の香りが追いかけてくる、辛口で飲みやすい。
ついつい4杯ほど飲んでしまい、酔ったままこの文章を書いている。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
日付が変わってしまったが、今日も合唱のレッスンであった。
桜が風に舞い、散っている。
練習会場の近くは花見の名所でもあるから、駅では花見客と思しき人々が沢山降りた。
やはり語学を学ぶというのは良いことのようだ。
先生の言っていることが理解しやすい。
不規則動詞のことや、語尾の活用の事など、もし私が勉強していなければきっと脳内に「?」で終わったであろう。
さて、問題が一つ。
今後、どうやらロシア語にも取り組まなくてはならないようだ。
数年前に、上司の趣味がロシア語だったこともあり、少し取り組んでみたことがあるのだが・・・(ミステリアスな上司は今はロシア大使館の人と仲が良いらしいのだが…音楽には興味が無いようで、残念)結局途中で放り出した。使う場面がなさ過ぎて、のことなので、今度のことのように積極的に使う可能性があるのならば脳細胞も興味を盛ってくれるのではないか。
父のロシア語の辞書は古いので、新たに買わねばならないだろうか・・・
(父は新婚時代に寝言がロシア語だったことがあったらしい。生きていれば教えてもらいたかったが)
キリル文字は独特で結構好きだ。
ロシア語の響も好きだ。
しかし・・・イタリア語、フランス語にロシア語・・・どうなることやら・・・。
ああ、ドイツ語も増えるらしい。
ドイツ語とイタリア語はユニークな参考書があって楽しく取り組んでいるが(特にドイツ語は挿絵が気に入っている)、フランス語は現在会話の基礎を行きつ戻りつ・・・。
職場で無駄にフランス語の落書きをしている。
学生時代の英語は、教科書の挿絵が嫌いで開きたくなかった、という偏屈なので、明日からはロシア語の参考書を探しに行こう。
前回、放り出してしまったのは、たぶん、参考書の挿絵が気に入らなかったからだ、ということにしておこう。
きっと音大の声楽科の生徒というのは語学が堪能に違いない。
うらやましい限りである。
カルミナブラーナ
:::::::::::::::
3月、某合唱団のオーディションに、ダメもとで参加したら合格した。
実際ステージに立つには更にオーディションがあるらしいのだが、とにかく素直に嬉しい。
「オーディション」などと名が付くものは人生で初めてであるから、まったく何を準備すればよいのかわからなかったが、とにかく課題曲の復習と、1週間前に師匠に発声稽古をつけてもらったぐらいだ。
課題曲は2曲あったのだが、どちらも歌うのだと勘違いしたまま当日を迎え、オーディション会場で「どちらか一曲を選んで歌う」と知り、優柔不断名誉会長である私は、5分前くらいにようやく腹をくくった次第である。
待合室は素晴らしく美しい声のマドモワゼルやマダムが次々と発声練習をしておりそれだけでも別世界であった。
いかに自分が場違いな場に来た怖いもの知らずなのかと思い知るも、やるからにはやらねばならぬだろうという変な矜持でどうにかその場に居ることができた。
おそらく、音大出身や、音楽経験豊富な方が多いのだろう。惚れ惚れするような声ばかりであった。
別室のオーディションには数人組みで移動し、一人ずつ総監督の前で歌うのだ。
まさか総監督がいるとは思っておらず、また変な震えが追加される・・・。
前日に仕事で声を枯らしてしまい、薬剤師に泣きついて選んでもらった薬と用法用量を守らないトローチを放り込んでいる身で対峙するにはあまりに雲の上の存在。
視線は天井の向こう側へ飛んでいった・・・。
にもかかわらず、総監督から合唱団参加の諾を伝えられた時はひざが笑っていた。
この人の思い描く音の一つになれるよう、努力しようと思う。
:::::::::::::::::::::::::::::::
日付が変わってしまったが、今日はカルミナブラーナのレッスンであった。
人生二回目のカルミナブラーナである。
とはいえ、1回目は、追うだけで精一杯な状態であったから、今回は、言葉の意味、音形に託された意味などもきちんと理解したうえで取り組めるようにしたい。
カルミナブラーナはラテン語と古典ドイツ語からなる。
歌に関わるようになってからドイツ語とイタリア語の理解は必至であると痛感し、独学であるが取り組んでいる。いずれはラテン語まで辿り着きたいものであるが、英語で躓いている身としては無謀とはわかりつつもやってみるしかない。
更に別件でフランス語まで手を出す羽目になり、先が見えない。
しかし、少しでも語学を学ぶと今まで気づかなかったことがわかるようにな(ったような気がす)る。
例えば、
・冠詞や接続詞がわかれば歌い方(語り方)が変わる。
・名詞に男性名詞・女性名詞(ドイツ語は中性名詞まで)があり、それらによって動詞や形容詞が変化していく為、韻を揃えるために言葉を選んでいるのだろうと推察。
・二人称には親称、敬称があり、それにより動詞が変化する為、詩のニュアンスが理解できる。
・イタリア語は主語によって動詞が変化し、その為主語は省略されやすい。
今のところはこれ位だが、何も知らなかったときよりは少し理解の助けになるようになった。
そのようなことを考えていたら、やはり詩を分析すべきだと思い、学生の頃を思い出しノートに書き出してみることにした。
PC生活が長い為、考え事を起こす場合は、ペンよりもキーボードの方が脳と繋がっていると感じているくらいだが
何かを細かく理解しようとしたら、やはり自由に書き込めるという「手書き」に勝るものは無いように思えた。
久々に学生の気分だ。
今度はきちんと辞書を買ってみよう。
:::::::::::::::::::::::::
今回は別の曲の楽譜も頂いた。
美しくも切ない旋律であった。
Fならばどこか牧歌的なのだが、#Fは哀しみを秘めた朗らかな美しさだ。
音楽と絵画と哲学と数学はとても近しいものに思う。
もっと学びたい。
総監督の紋章にはαとΩが描かれている。
哲学的であり、数学的である、と思った。