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2025年05月07日
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韃靼人とタタールのくびき
2015年03月30日
以前目にした言葉で意味がわからないまま放置したものがある。
「タタールのくびき」
なんとなく、ロシアが不幸だった時代?とした認識していなかったのだが・・・
ボロディンの「イーゴリ公」の「ポロヴェツ人(韃靼人)の踊り」に取り組むに当たり周辺を調べていたら再び「タタールのくびき」に出会うこととなった。
まずはイーゴリ公の舞台がどこか?となるのだが、
現在のロシアの基礎となったキエフルーシのとある町。
その領主のイーゴリ公とその息子。
時は1185年。日本では源平合戦の終盤。治承・寿永の乱が終わって(?)、源頼朝が奥州藤原氏に攻め込んでいる頃。
【適当に解釈した身もフタもないあらすじ】
イーゴリ公の町は遊牧民ポロヴェツ人(韃靼人=タタール人)からの攻撃を受けて戦争中。
嫁の兄はなにやら企んでいるし、戦いに敗れて捕囚された先で息子は敵将の娘と恋に落ちるし、敵将はかつての戦友で、同盟を持ちかけてくるし、祖国が更に戦いに敗れているし、イーゴリ公は嘆くしかできない!そして敵将であるコンチャークはイーゴリ公を仲間にしたいので懐柔作戦展開!
そこで出てくるのが別嬪女奴隷による歌と踊り。これが「韃靼人の踊り」なわけである。
内陸深くに囚われた女たちだからこそ「海」が憧れであり希望となるわけだ。
そしてコンチャークを讃えまくる。
物語の終わりは息子は無事結婚(その後は不明)。イーゴリ公は帰還し再び戦いに身を投じる英雄譚、という感じだろうか。
物語のその後が気になる。
史実によれば、遊牧民族はユーラシアで勢力を拡大し、12世紀あたりにはチンギスハンによりモンゴル帝国が成立。キエフルーシも13世紀にはその支配下に下る。
それから始まったのが「タタールのくびき」と呼ばれるロシアの冬の時代。
歴史は誰の視点から見るか?で大きく変わる。
支配を受けたロシアからすれば、暗黒の時代。
後世から見たら、当初の侵攻時の残虐さはあるものの、納税強制の支配が始まればあとは割と自治に任せていたとも言われるており、一説にはゆるめの統治とも言われているらしい。
それは当時を過ごした当人たちにしかわからないことなのだろうけれど。
ちなみに、冒頭で奥州藤原氏を攻めてた源頼朝(のちの鎌倉幕府を開いた人)の弟、源義経は最後は非業の死を遂げているわけだが、北海道からモンゴルに渡りチンギスハンになったという伝説もある。完全に史実では否定されているのだが、江戸時代にも人気の説だったそうだ。
その後、14世紀前期倭寇で日本とモンゴル勢はぶつかることになる。
高校時代は世界史が苦手だったが、ようやく日本史と世界史をリンクしながら取り組めるようになってきたようだ。
まさか音楽がきっかけになるとは・・・。
「タタールのくびき」
なんとなく、ロシアが不幸だった時代?とした認識していなかったのだが・・・
ボロディンの「イーゴリ公」の「ポロヴェツ人(韃靼人)の踊り」に取り組むに当たり周辺を調べていたら再び「タタールのくびき」に出会うこととなった。
まずはイーゴリ公の舞台がどこか?となるのだが、
現在のロシアの基礎となったキエフルーシのとある町。
その領主のイーゴリ公とその息子。
時は1185年。日本では源平合戦の終盤。治承・寿永の乱が終わって(?)、源頼朝が奥州藤原氏に攻め込んでいる頃。
【適当に解釈した身もフタもないあらすじ】
イーゴリ公の町は遊牧民ポロヴェツ人(韃靼人=タタール人)からの攻撃を受けて戦争中。
嫁の兄はなにやら企んでいるし、戦いに敗れて捕囚された先で息子は敵将の娘と恋に落ちるし、敵将はかつての戦友で、同盟を持ちかけてくるし、祖国が更に戦いに敗れているし、イーゴリ公は嘆くしかできない!そして敵将であるコンチャークはイーゴリ公を仲間にしたいので懐柔作戦展開!
そこで出てくるのが別嬪女奴隷による歌と踊り。これが「韃靼人の踊り」なわけである。
内陸深くに囚われた女たちだからこそ「海」が憧れであり希望となるわけだ。
そしてコンチャークを讃えまくる。
物語の終わりは息子は無事結婚(その後は不明)。イーゴリ公は帰還し再び戦いに身を投じる英雄譚、という感じだろうか。
物語のその後が気になる。
史実によれば、遊牧民族はユーラシアで勢力を拡大し、12世紀あたりにはチンギスハンによりモンゴル帝国が成立。キエフルーシも13世紀にはその支配下に下る。
それから始まったのが「タタールのくびき」と呼ばれるロシアの冬の時代。
歴史は誰の視点から見るか?で大きく変わる。
支配を受けたロシアからすれば、暗黒の時代。
後世から見たら、当初の侵攻時の残虐さはあるものの、納税強制の支配が始まればあとは割と自治に任せていたとも言われるており、一説にはゆるめの統治とも言われているらしい。
それは当時を過ごした当人たちにしかわからないことなのだろうけれど。
ちなみに、冒頭で奥州藤原氏を攻めてた源頼朝(のちの鎌倉幕府を開いた人)の弟、源義経は最後は非業の死を遂げているわけだが、北海道からモンゴルに渡りチンギスハンになったという伝説もある。完全に史実では否定されているのだが、江戸時代にも人気の説だったそうだ。
その後、14世紀前期倭寇で日本とモンゴル勢はぶつかることになる。
高校時代は世界史が苦手だったが、ようやく日本史と世界史をリンクしながら取り組めるようになってきたようだ。
まさか音楽がきっかけになるとは・・・。
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