[PR]
2025年05月08日
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
京都にて。
2015年02月14日
先日、京都の南座でオペラをするというので見に行った。
タイトルは蝶々夫人である。
演出が素晴らしく、蝶々夫人を務めたソプラノの美しいことはもちろん、甲部の芸妓が舞い、日本の幽玄美が現されていた。南座でこその演出に、うっとりと魅入るばかりであった。
イタリアオペラであるものの、これは日本人が演じてこその妙ではないか。
オペラが総合芸術であるのなら、日本人以外のゲイシャメイクといわざるをえない白塗りは耐え難いものであるし・・・。
プッチーニが描いた悲劇はあの幽玄のなかで紡がれてこそ芯の姿を現すのではないだろうか。
日本史の点から見れば、猿田彦や天照の発音や仏教と神道の混濁もみられるものの。
話は逸脱するが、天照大神と天照彦、猿田彦、と神話の隠されたエピソードを邪推してしまったのはここだけの秘密である。仏教と神道の混濁は仏教伝来時から意図的に混合してきたものだから仕方ないとも思えるが。
逸脱ついでに京都といえば、秦氏である。
次回京都へ行くときは是非秦氏をめぐる旅、としてみたいものだ。そうすると飛鳥へも行かねばなるまい。
秦氏と蘇我氏、弓月と月読、仏教・神道・景教(ネストリウス派キリスト教)、となると、はるか西方の、ローマ帝国の分裂、西ローマ帝国の滅亡、と、大陸へとイメージは続く。
先日は中国で夏時代より更に遡る遺跡が見つかったのだという。
どこかマヤ文明を髣髴させるという噂の遺跡。
人は動く、文化は伝播する。その足跡が歴史となる。
音楽から始まった歴史への興味がこのようなことになるとは、楽しみなような、末恐ろしいような。
タイトルは蝶々夫人である。
演出が素晴らしく、蝶々夫人を務めたソプラノの美しいことはもちろん、甲部の芸妓が舞い、日本の幽玄美が現されていた。南座でこその演出に、うっとりと魅入るばかりであった。
イタリアオペラであるものの、これは日本人が演じてこその妙ではないか。
オペラが総合芸術であるのなら、日本人以外のゲイシャメイクといわざるをえない白塗りは耐え難いものであるし・・・。
プッチーニが描いた悲劇はあの幽玄のなかで紡がれてこそ芯の姿を現すのではないだろうか。
日本史の点から見れば、猿田彦や天照の発音や仏教と神道の混濁もみられるものの。
話は逸脱するが、天照大神と天照彦、猿田彦、と神話の隠されたエピソードを邪推してしまったのはここだけの秘密である。仏教と神道の混濁は仏教伝来時から意図的に混合してきたものだから仕方ないとも思えるが。
逸脱ついでに京都といえば、秦氏である。
次回京都へ行くときは是非秦氏をめぐる旅、としてみたいものだ。そうすると飛鳥へも行かねばなるまい。
秦氏と蘇我氏、弓月と月読、仏教・神道・景教(ネストリウス派キリスト教)、となると、はるか西方の、ローマ帝国の分裂、西ローマ帝国の滅亡、と、大陸へとイメージは続く。
先日は中国で夏時代より更に遡る遺跡が見つかったのだという。
どこかマヤ文明を髣髴させるという噂の遺跡。
人は動く、文化は伝播する。その足跡が歴史となる。
音楽から始まった歴史への興味がこのようなことになるとは、楽しみなような、末恐ろしいような。
PR
Comment